晴耕雨読になりたい
最近雨の日が続いていますね。
梅雨かよってくらい雨が降っている。
今も窓に雨が吹き付ける音が部屋に響いています。
晴耕雨読という言葉がありますね。
晴れの日は外で働いて雨の日は室内で読書するという。
これになりたい。
なりたくない?
なりたい。
雨の日に外に出るのが億劫ということもさることながら、雨の日に家の中にいるのすごい心地良くないですか。
あの水滴でモザイクのかかった窓の前に座って冷たい空気を肌で感じつつ一日寝巻きで過ごすのとても幸せを感じるのです。
また、雨の日は家にいる事を決め込んだ時、晴れたら外に出たい気も起きるのです。
そうなった結果、天候の仕業で外に出れない状態から解放されたときにただ外に出るのとは違った幸せを感じることができるのです。
その日その日で動きたいですね。もっと。
これも社会の中で生きるにはどうしようもない事なのですが。
今日は雨が降ってるから外出られないね~で家に居られる生活があったら幸せな気がします。
そう考えているとやっぱり自給自足の生活をしたいと思ってしまう。
それって社会性の放棄に他ならないのかな。
ド田舎で妻と子供二人とのほほんと暮らしたい欲求は胸の奥に確かに存在しています。
父ちゃん俺東京に行きたい。
駄目だ。
なんで!?
東京に行ったら雨の日もはたらかなくちゃいけないんだぞ。
それくらいわかってるよ!それでも俺行きたいんだ!
とにかく、東京に行くならお前はもううちの子じゃない。
なんだよこの糞おやじ!こんな家出てってやる!
勝手にしなさい。
あらあら、たけしが東京に行きたいって言いだしたら応援してやるつもりだと言っていたじゃないですか。
こっちの方が家を出ていきやすいだろう。
素直じゃないんですね。
素直…?ああ、まあなんだ、ただ息子が家を出ていくのが寂しいだけだ。最初で最後のワガママだよ。
みたいなね。
なんですかこれ。
時代設定が古い。
でも、こういうの、ありだと思います。
オチ無し。
以上。