脳内宇宙の開示

日頃考えていることを書きます。

18の悩み

 

自分の優しさが恨めしく感じるときがある。周りの人間が楽しそうに出来ていないように見えるときそれをどうにかしたいと悩んでしまう。そうしているうちになんとなく他人の不幸に引っ張られるような気持ちになってしまって自分を責めてしまう。

もっと自分勝手であればいいと思う。しかしそうなれないのは真に自分が優しいということであって、それは一般的に誇らしい事であると思いながらも、どうも悲しい気持ちになる。

誰しも、人生の最終目標は幸せになることである。その中で、自分の幸福を追及できないというのがどうも悔しい。結局は周りの人間を楽しくすることがすなわち自分の幸せに繋がるわけであるが、虚勢のようなエゴイズムと真の優しさの狭間で押しつぶされそうになる。

 

そもそも自分以外の感情というのには確証がない。

嘘を吐こうと思えばいくらでも吐くことはできる。

だから人の感情に自分の幸福をゆだねるというのは相当に不確定なものであり、そんなものをいつまでも追ってきてしまったから他人の感情に自信がない。誰しもすぐに優しい嘘を吐く。逆に優しい嘘を吐く人としか関わることができない。

 

そんな話を人にするわけにはいかない。何も感じていない人間に対してあの人はこう思っているはずだと決めつけた内容を話したところで、ただ巻き込んでしまうだけのように思える。決して配慮が欲しいわけではない。みんなで配慮して摺り寄せていくのは絶対に違う。だから一人で悩む。今日も誰にも見られないところで文章を書いて気持ちを晴らそうとしている。文脈なんて必要ない。メモで良い。体裁が整っていることもまた恨めしい。

 

 

18の感性で生きている今の私は今の私が嫌だ。

高校生という身分がコンプレックスだ。

早く大人になりたいと思う。

その考えが何よりも子供らしい、高校生らしいというのもまた皮肉なもので困る。なんとなくだが、大人になっても対して変わらないような気もする。今周りの空気を受け入れられないでいつか受け入れられる時が来るのかもわからない。

青春をどこかで取りこぼしてしまい、いつ消化すればいいかわからなくなった。

このまま大人になってしまったらろくなものにならない気もしている。大人になりたいに収集が吐くのかがわからない。反抗期は来なかった。青春も取りこぼした。高校は謳歌できず傍観者になった。小さいころの大人になりたくないと思っていたころの方がよっぽど健全な心境であったのではないかと思う。今のままではいつか死んでしまう。自ら命を絶ってしまう。

 

再度いうが、高校生であることがコンプレックスである。

しかし、高校生で無くなった時にそれが晴れるのかいまいち自信がない。

高校を卒業してもなおそこにずっともやっとしたものが残るのであれば何に自信が無いと言えば良いだろうか。

私だ。私に自信がない。

自分を否定して生きていくしかなくなる。

期限は迫ってきている。ただどうもできない。社会のしがらみが憎い。

あと4か月せずに終わる高校生活から離れたら自信を持てるだろうか。

非常に恐れている。

大学、会社に入った後も平日家から出られないような生活を送らないだろうか。

何か外に原因を求めているだけで、実際には全て私の怠惰が原因なのでは無いだろうか。

ずっと悩んでいる。

これも全て外のせいにしきれない私の優しさだろうか。それともはなから怠惰なのだろうか。それももうわからない。

 

 

そんな18の悩みをここに書き残す。いつか笑って見返してはくれないか。