幽霊がいるトンネルに行った話。
先日地元の方が言うには「幽霊がいるトンネル」に意図せず行くこととなりました。
一目見るなり明らかに長さが短く、流石に幽霊ももっと良いところに行きたいんじゃないかと思ったと、そういう話であります。
怪談話じゃなくてすいません。
まあ行ったの昼でしたしね。
その後ふとそういった幽霊がいるとかって話はどこから来るんだろうなと思い初めました。
ちょっとネットで調べてみても背景がいかにも悪趣味なオカルトサイトばかり出てきて私の求める答えはなさそうだった。
あんまり調べると夜トイレに行けない結果になりそうなので、いっそのこと調べず自分の中で完結させることを前提に考えてみようかなと。
(もし詳しい人がいたら話が聞きたいです。)
まずそもそもとして、自分の中の根っこの方にあるものを変えれば一つの答えは簡単に出る。
それは「実際に幽霊がいる」という答え。
ちなみにオカルトサイトはこれを前提に話が進んでいるものばかりでしたね。
先ほども述べたがこれは私の求める答えではない。
これだと考えるもくそもないしな。
あくまで0から人間が作り出したオカルト話はどこから来るのかって話がしたいのだ。
一つの考絵として、元々の起源は子供への忠告的な意味合いが強かったというのはあるではないかと。
小さいころ注意されるのと一緒に昔からの作り話をされるじゃないですか。
身に覚えがあるのだと「夜に口笛を吹くと泥棒がやってくる」ってやつ。
「蛇が出る」っていうケースもあるみたいですが、これには夜の口笛はうるさくてやめさせたいから「泥棒が来る」という恐怖でやめさせるという大人の意思が確かに含まれています。
オカルトの昔の昔を遡っていってみるとこう言った話で作られてきたんじゃねえかという感じです。
今になってしまってはどの話もきっと色々と尾ひれがついてしまっているでしょうから、現代を生きる我々からそれを推測することはなかなか難しいですが。
尾ひれというか恐らくエンターテインメントになりすぎたんだと思います。
トイレの花子さんみたいな話も元々はなかなか教師が入って指導しづらいトイレに子供たちが長居して悪いことをするのがよろしくなかったから作られた、とか。
それが子供たちの間でいろんな話をつけられてどこどこをノックしたら出てくるとかなんとかかんとかという話に落ち着いた、みたいな。
幽霊は夜に出るというのも純粋に夜に外に出たりするのが危なかったからか。
その割に河童みたいのは昼でも表れる印象があり、それは川という別の危険要素に対しての注意喚起だったからかなあと。
そうなると座敷童とかぬらりひょんみたいなのはどうして出てきたんでしょうかね。
いやーこうやって考えるの結構楽しい。
実際、今現在言われている心霊スポットとかに行ってみるとヤンキーが居座ってたり、それよりもっと悪い人たちが集まってたり、あるいはお金のない若い男女が…みたいな事があるみたいです。
近づいてほしくない場所に幽霊という虫よけを置いてるという。
まあそうじゃないところも事例もあるでしょうけどね。
お盆みたいなのを国全体でやるところですから。
ちなみに先ほどの河童の話、ネットで知らべてみたところ、江戸時代、生まれたばかりの子供を殺した時にその遺体を川に遺棄する言い訳として作られた話という説があるみたいです。
生まれたばかりの子供を殺すことを「間引き」というところからその理由もなんとなく察しがつきますが。
これが本当かは定かではありませんが、いずれにしても作る人の意図はどこかに含まれているのでしょうね。
それを考えてみるのは面白いかもしれません。
最近の人を怖がらせるためだけに作られた話はそういった面を持ち合わせていないでしょうけど。
全く季節の合わない話をしてしまった。
もっと後になってからすればよかったな。
でも、面白かったです。
ちなみに最初の話に出てきたトンネルがあった場所は言わずもがな☆東金☆であります。
頑張って幽霊の話作りました!って感じがするほど拍子抜けするトンネルだったのでめっちゃ好きでしたね。
私の真顔もよく死んでると言われるので頑張ってオカルト話を作れば良い感じになるかもしれない。
実はあの顔、たまに死んだおじいちゃんの顔になってるときがあるそうです……
こうして人は私を避けるようになり孤独になった私は一人まだ存命の2人のおじいちゃんに謝りに行くのでした。
ちゃんちゃん。