旅のしおりの1ページ
世の中はコンビニエンスになりすぎてしまった…
いやー明日からの部旅行の準備をしていたのですが、正直金さえあれば必要なものは大抵コンビニとかで買えてしまうし、特に気張って準備する必要もないな、と。
これってある種準備の楽しみを失ってる気がするんですよね。
まあそんなこと言っといてフェスの入場チケット忘れたり、泊まりの旅行に眼鏡忘れたりなんだかんだ忘れちゃいけない物を忘れてしまうのが私なのですが。
迷惑かけた人たちマジでごめんな。
「世の中が便利になった」というとあたかも24時間のコンビニがいっぱいできたり、そういうことに言っているように思えると思うのですが、実際そこではないと思うのです。
というのも、我々くらいの年だと、割と小さいころからそんなの蔓延してるじゃないですか。
でもどんどん世の中は便利になっている気がするのは、世の中じゃなくて私が変わってるんだと思う。
小さい頃は忘れ物をしたとて、それを買う自由を与えられなかった。
例えばずっと楽しみにしてた大富豪をやるためのトランプを忘れたことに夜になってから気付いても大人が宿からコンビニまでいかせてくれない、みたいな。
あるいは純粋にそんな家に忘れたものを外で買うほどの金銭的余裕がなかったか。
後者の方がでかい気がするな。
それがだんだん大きくなってくると自由になってくる。
夜に一人でコンビニに行って夜のペヤングを買うことも出来る。
その変化に対して、私は便利になったと感じる。
この先世界が進歩を辞め、大きくなっていったとしても、私はどんどん便利を手に入れる。自由になっていく。
もう少し大きくなればクレジットカードなどというものも持てるようになり、今は金さえあればのところがカードさえあればに書き換えられるようになる。
バイトあるいはその先の仕事までするようになれば金銭的な自由をある程度手にできるようになる。
免許を取れば行動範囲においても自由になれる。
いやー楽しみだ。
楽しみではあるが、冒頭に書いたように、その便利さと引き換えに何かを失っていくことも忘れてはいけない。
今しか楽しめない旅行の仕方がある。
今しかない旅行の価値がある。
これはチャリ旅行で小田原まで行ったときに感じていたことかもしれない。
高校生の体力と探求心と顕示欲はあって、金銭的余裕がない。
だからママチャリで往復することになった。
途中で無理だったら電車に乗るとかそういった考えは一切なかった。
未来より明らかに不便ではあるが、今しかない価値があったのだ。
それをひしひしと胸に感じながら明日の部旅行へ思いを馳せている。
高校生らしくていい。
堂々馬鹿で良い。
今しかできない旅行をする。
まあ自然体であればいいだけなんだが。
その「自然体」に価値を与えることはとても大切なように思える。
あー楽しみだー
うわー
トランプして―なー
おしゃべりして―なー
恋バナしようぜ恋バナ―
え???
お前付き合ってんの??
え???
誰と???
うわっマジかよー!!!
2ショットないの?2ショット!
見せて見せて!
うわー激マブじゃーん!!!
などという夢を見て寝坊し遅刻することの無いようにしたい。
あ、それも自然体…
一理ありますね…