脳内宇宙の開示

日頃考えていることを書きます。

格子越し思考行使

 

夜の電車に乗って家に帰る。

ドアの近くに立ってドア越しに外を見る。

右から左、もしくは左から右に景色が移ろっていく。

電灯、建物の灯り、高速の電光掲示板。

目に入ったものを目で追う。

そうしているうちに誰かの視線を受けている事に気づく。

そう、窓に映る私だ。

とても気だるげな眼。

窓の外移ろう景色は案外面白いのに、つまんなそうな眼。

私は楽しんでいるのに、横から口を出された気分になる。

つまらないならそこをどいてよと思ったところで、仮に言ってみたところで、そこに映る私は除けてくれない。

しょうがないから今まで通り私越しの景色を見る。

考えれば、今までもずっといつだってそう。

私越しじゃない景色を私は知らない。

いつだってそうなのに、窓に映る自分を見ないとそれを認識下におけない。

私はいつだって一番そばにあるのに、それに気づくことはなかなかできない。

 

 

 

景色を見続ける。

まだ私の視線を感じるが、目を合わせようとしなければ見られていないことも私は知っている。

しかしそうしているうちに段々外の夜景が本当に面白いのか分からなくなってきた。

考えてみれば自転車で通ったことも、歩いて通ったこともある道だ。

そんな無意識に毎日のように見ている景色を果たして私は本当に面白いと感じているのか。

私を見失ってくる。

私に見つめられたことを事の起こりとして、私を見失っていく。

皮肉だ。

当て擦りだ。

でも案外そんなもんだったなと思いだす。

今までも自分から眼を背けてきたもんだったと。

 

 

結局私越しじゃない景色を見てみたい気がしてくるが、それはどうも難しい。

実際に見ることは恐らくできない。

聞いて、なんとなく感じることくらいしか。

しかし感じるときに結局私越しになってしまうのか。

つくづく私にとって私は邪魔らしい。

まあ一生付き合って行かなきゃいけない相手であることは生まれてから決まっていたことだし、しょうがないような気もするが。

 

 

 

そうこう考えている間に家の最寄りの近くまで来てしまった。

いつもの景色。

いや、少しだけ違う。

工事中のところがあっていつもの景色とは表情が違う。

明らかに馴染んでいない箇所がある。

 

ああ、「いつもの」なんてものは一つもなかったな。

街も表情を変えるし、私も今日は「私越し」を初めて感じながら外を見た。

いつもあるもののようで、昨日までなかったものがそこにある。

果たして、この街が顔を大きく変えるのと私が大人になるの、どっちが早いだろうか。

あるいは私がこの街を去るのが先か。

 

そんなことを私越しの景色を見ながら考えた。

隣には誰か越しの景色。

混ざりあうことがないようで、あるかもしれない。

いや、混ざりあうかは私が決めることができた。

そこで電車が駅に着き、私は降りる。

 

ついに、混ざりあうことはなくなった……