脳内宇宙の開示

日頃考えていることを書きます。

各味覚欠く核

 

感覚ってすごい難しい。

自分の思う感覚が正しく形にできない。

自分の見つけ出したいものだけにフォーカスを当てようとしても上手くピントが合ってくれない。

ぼーっと見てると一瞬だけ違う絵が見える本を見ている感じ。

あれ?知らないですか?

昔「見てると視力が良くなるマジカルアイ」って本があったんですよ。

キズナじゃないです。マジカルです。

まあそんなのはどうでもいい。

感覚は正しい形で私に物を見させてくれないのだ。

ずっとゲシュタルト崩壊を起こしているような感じ。

となれば、皆様に聞くしかない。

チーズの味ってどんなんでしたっけ。

 

 

事は2時間前に遡る。

昨日までスキーに行っていた兄貴のお土産の中に「チーズモンブラン」というのがあった。

ママンがそれを食べながら「これチーズ要素全然ないね。」などと言いやがる。

試しに私も食べてみるとチーズの味がするような気がするが、それがチーズの味なのか段々とわからなくなってきた。

もう一口租借し、一生懸命チーズの味を探すのだが、ちょっと見つけるとすぐ逃げられ、その実体をなかなかつかめない。

味の周りの部分は感じ取れる気がしても核をとらえきれない感じ。

遠くのものを目を凝らしてみるような作業だが、実際にそこに確かな味が鎮座しているわけでなく、味覚に与えられた刺激がそこにあるだけなため、それがとても難しい。

そうこうしているうちにチーズの味って何だっけというところまで到達し、今に至る。

すげー文章化がむずいなこれ。

 

味というものがとても不気味に感じられた一幕でした。

考えてみれば「味がある」ってのも結構微妙な表現っすよね。

味が薄い濃いって結局主観であって、まあ塩分とかについては正確な数値が出ますけど、キュウリにはちみつかけたらメロンの味とかそういうのって感じる人と感じない人がいるじゃないですか。

それを「なんの味」ってはっきりわかるようにするってとても難しいし、それができてしまう時があるというのはいささか不思議であるなと。

まあこの世のすべては結局自分が感じたものしかないので全てに言えることかもしれませんが。

 

そう考えると味の共有ってひたすらにむずいっすよね。

「舌が肥えてる」とかいうように舌の感じ方が誰かと完全に一致しない以上、同じものを食べてもそれが必ずしも同じ味がするとは言えないし。

それを踏まえて万人に上手いって言わせる料理作るコックとうちの母ちゃんすげー。

いや、実際には万人に上手いって言わせられる料理など存在しねーな。

生まれ育った国が違うと味覚も全然異なるらしいしな。

お笑い芸人のネタみたいなもんかもしれね。

 

 

 

いやー我ながら自分の感じている味が自分にしか感じられないものだというのは新発見でしたねー

とてもいい考え方ができた。

まさに味のある考え方と言ったところでしょうか。

オアトガヨロシー