世界の中心で賽を投げる
私が死ねば、貴方も、地球も、宇宙も、全て終わります。 客観的世界は終わりを迎えるのです。 その話はまた明日しましょう。
赤みのかかった月 - 脳内宇宙の開示
ようやく明日が来ました。
ただ、ちょっと遠回りをしながらお話をします。
この迂回ルートにこそ大事なものは落ちているのです。
急がば回れとはそういったことでありますな。
今まで生きてて緊張ってしたことありますか?
ええ、色々あるでしょう。
その大きさに違いはあれど、緊張というのは誰もが経験しうるものであると認識しております。
では、緊張って何でしょう。
辞書で調べると「心や体が引き締まること」とあります。
まあ大勢の前で話したり、大事な部活の大会とかで感じるやつですよ。
「うわー緊張してきたー」なんてよく言いますよね。
でも、それって本当に緊張している状態なんでしょうか。
ただ「大勢の前で話したり、大事な部活の大会に出たりするときに感じるのは緊張だ」という前情報によって、自分がそうなった時に「緊張している状態だ」と認識させられているなのではないのか。
いや、流石にもうこの年になれば緊張しているときは直感的にそれを認識できると思いますが、それは「子供の頃から緊張だと思っている現象」が身に起こるからであります。所詮経験のデータベースからそれと類似しているものを直感的に引っ張り出して認識したに過ぎない。
そもそもの「子供の頃から緊張だと思っている現象」が世間的にも緊張だと言えるかどうか確かめる手段を我々は持たないのです。
もちろん鼓動の速さとか発汗とか瞳孔の大きさとかから緊張という現象が見られることはありますよ。しかし、「緊張してきた」と自分が認識するかどうかはそれらとは別の、心の問題なのです。
そう考えると、嬉しい、悲しい、楽しい、むかつくなどなどの自分が感じた感情も周りの人も同じように感じているかは分かりませんね。自分の感じている感情とそれを表す言語が意図せず間違っていてもそれを分かることはできない。
なぜなら、心に直接「嬉しい」を送り込まれ、「これが嬉しいということなのです。」と教えてもらったことは誰もないのですから。
そうやって考えていくと段々不思議な気分になってくる。
まるで先ほど書いたような感情を表す言語に付随する感情を、私しか持っていないようなそんな気分に。
「共感」とかいう言葉を使いながら、ヒトは誰しも誰とも同じ感情を味わったことは無い。
感情を言語化せず、それを元にした行動を伴わず、ぱかっと脳を開けて物質として見せてくれなきゃ本当に「同じ言葉で表せる感情」を持っているのかわからない。
てか、目の前にいる人間は本当に感情を持っているのかよ。
考えているうちにここにたどり着いた。
周りの人間はそもそも感情を持っていないただのオブジェクトなのではないかと。
もしかしたら生きている人間は私一人なのではないかと。
私は世界といういわば虫かごに入れられた唯一の生物なのではないのかと。
自己中心的の最たるものである。
よって、私が死んでしまえば、虫を亡くした飼い主が虫かごを綺麗にするようにこの世界は消えるはずだ。誰が綺麗にするのかってそれは高次元の存在だろうから分からないけど。
そもそも唯一の生物である私がいなくなったらこの世界を認識できる者はいなくなる訳だから世界は消えるのと同じだ。
よって、全ては私の死を以て消える。
私のこの論は絶対的だ。
否定されようと、否定する者も生きていないオブジェクトに過ぎないのだから。
私が信じるだけでこの論は成り立ってしまう。
完璧だ。
まあ以上の文章を書いてオブジェクトの皆様に見せているあたりに本気にしてない事を読み取ってくださいよ。別に冗談とかネタで言っている訳でもありませんがね。
ただ、世界がもっと根本的なとこから間違って解釈されていたり、偽られている可能性はないことはないんじゃないかとそういうことが言いたいだけです。
例えば宇宙に行けるかどうかとかって、実際に行ってみないとわかんないじゃないですか。
もしかしたら宇宙について研究している人が全員嘘をついているという場合もあるわけで。
こういう考え方って完全に人類への冒涜なんですけど、こう考えている方が面白い気がする。
「見てきた物や聞いた事今まで覚えた全部でたらめだったら面白い。」
かのブルーハーツの情熱の薔薇の歌詞であります。
こういうことなんじゃないかと思います。
まあこうやって考えたところで結局この世界で生きなきゃいけないし、この世界の規則にも従わなくてはいけないわけです。
隣の人も生きているものとし、宇宙もあるものとしていかなくてはならないのです。
絶対的な論でありながら、実際全く使えないのであります。
ただ、少しだけ生きるのが面白くなるだけ。
それだけで充分だけどな。
久々に書きたいことがストレートに書けた感じがして満足している。
まさに脳内宇宙の開示かな。
そう、私の中の宇宙の中には私が一人閉じ込められているのだ。
私も一種の高次元な存在と言えるかもしれませんね。