夜空師は明日を磨く
帰りの電車を降りたホーム、観光客と思しき一人の女性が空を見つめていました。
そこにあるのは私が毎夜毎夜見る光景のみ。
私はもう特に気にも留めないその光に一人の女性はただ目を輝かせていたのであります。
私幼いころは栃木で暮らしてまして、こっちに越してきたのは4歳くらいの頃。
それから14年ほどまあ似たような景色を毎日見てきました。
もう記憶にもありませんが、きっと始め見たときはさぞ興奮したに違いないのですよ。
なんせまさに夢の国というべき世界が近所に広がっている訳ですから。
そんな感情ももうだいぶ色を落とし、輝きを失い、くすんでしまったようです。
実際にはもう何年も前からそんな状態なんですけど、今日久しぶりに元の輝きを思い出せたような気がしました。
損をしている気分になった。
前に立つ人間には輝かしいものに見えるものが自分にとってはそう見えないのだ。
自分が良いと思うものは少しでも多いほうが楽しいと思うのだが、それを一つ失っていた気分に襲われていた。
となれば輝きを取り戻すしかない。
一番初めの輝きをもう一度感じることは出来ないとわかりながら、丁寧に丁寧に磨くしかない。
磨くのは自分の記憶か感性か。
そんなのはどうでもいい。
ただ、明日見る夜空が少しでも輝いていればそれでいいのである。
文字通り綺麗な光を放つのであるから、それをそのまま神経で受け止めれば良いのみ。
4000日の中の1日ではなく、明日は明日である。
その明日の夜空をひたすらごしごしと気持ちを入れて磨くのだ。