脳内宇宙の開示

日頃考えていることを書きます。

たった一つ心の具現化の方法

 

今日は限界まで寝ました。

実にその時間17時間。

昨日一日中家から出てない身としては疲れがあるわけでもなく、17時間は限界でしたね。

もう寝られないですわ。

 

何故そんな寝たかって言うと、まあ若干熱があったんですね。

そして定期的に腹痛が襲い、常に頭は重いとそれだけの症状なのですが。

もしかしたら昨日の悪夢の原因はこれだったかも知れないですね。

だとするなら少し残念な気がします。

 

そんなわけで今日は本当に何もしなかった。

布団から出て昼飯をくって熱測って寝て起きて晩飯食って熱測って漫画読んでネット見てました。

決して全く動けない訳ではないのですがまあ安静にしとかないと誰かのようにさらに症状悪化して新歓とか全部おじゃんにしても嫌なので何もしないべきだろうと思って何もしてないっすね。

そう、なんとなく時期的にも状況的にもどっかの誰かに似ている。

今までの緊張の糸がぷつんと切れて体調を崩すというのはなんともデジャブですやんな。

面白い。

そう考えると私もしっかり気持ち張ってやれていたことが認められたようでなんとなくうれしい、

彼が倒れてなかったら私の糸が切れて私が倒れていたとただそれだけの話かもしれない。

 

そんなことを寝れない布団の中でぼんやりと考えながら、身体は心を具現化させるただ一つの表現方法なのかもしれないと思い始めた。

忙しいところから解放されると急に体調を崩す。

ストレスがかかり過ぎると肌が荒れたりできものができたりする。

もっと身近なところで言うと恥ずかしいと顔を赤らめるとかもそういった類っすね。

そういう事は今まで見ることができないと思っていた心という曖昧なものの具現化の一例なのではないかと。

ある一つの感情がそこに存在するという事は言語化した時点で会話する二人の間に認識差異が生じるかもしれない。

しかし言語化ではなく、そういった身体から発せられる表現であればそれは絶対的な表現となり得るかもしれない。

もちろん隠し事が上手で無理してても何にも身体に影響が出ないから頑張り続ける人間とかいますけどね。

まあ最終的にはぶっ倒れるんですけど。

個体差はあるが、身体に出やすいタイプの人を見つければその人の心とは絶対的なコミュニケーションが取れますよね。

 

まあそんなことをいったところでそもそも身体に出やすいタイプの人を決めるときに自分の主観が含まれてしまうので絶対的なコミュニケーションは不可能なんですけどね。

なぜ人間はもっと困ったら顔が見るからに青くなったり怒ったら湯気が出たりしなかったんすかね。

そうだったらもっと楽だったんですけど。

それはそれで窮屈か。

それにこの相手が何を考えているのかちゃんと考えないといけないほうが面白いっすかね。

そういうふうに世界は出来てるかも知れない。

完全に話が脱線したな。

 

とりあえず体調は直します。

以上。