主観的恐怖の証明
昨日久しぶりに怖い夢を見ました。
怖いと言っても小さいころに見ていたようなテロリストに襲われたり線路に投げ出されたり兄貴の首元から出てきた液体が底なし沼になったりする奴じゃなくてもっと精神的に来るやつですね。
トラウマに引っかかるようなやつ。
多分詳細に語っても他の人には理解されないんですよ。
母親に話したら笑われてしまった。
しかしあれは真に悪夢だったのです。
悪夢を見た原因というのはなんとなくわかっていて、昨日ちょっと怖い作品を見たからだと思っています。
怖さのジャンルで言えばビックリ系ではなくてサイコ系…といったところですかね。
サイコともまた違う気がしますが、まあ小手先のやつではなくて芯から冷えてくるやつです。
まあそんなのを寝る前に見まして、それから寝たので久しぶりに怖い夢を見たんだろうなと。
そう考えてみると、フィクションの映像作品的な怖さが起因して主観的なトラウマじみた悪夢を見たというのは面白いことに感じる。
母に笑われるような他人には感じられない怖さが自分の中ではしっかりと一般的な恐怖と同等であるという証明。
いや、まあただマイナスな感情がリンクしてネガティブな夢を見せたというだけの話かもしれませんが、なんか自分の中でしっかりトラウマとして根付いてるんだなあという感覚があって目覚めたとき妙な気分になった。
昨日まで、あのトラウマの原因となった経験群は自分の中でマイナスでもありプラスでもあり、いつでもそこに戻ろうとすれば戻れると思っていた。
しかし、自分の中で恐怖と結びつくほどの根強いマイナスイメージがそこに存在しているのなら、もうそこに戻ることはやめたほうがいいのではないかとそう思い始めた。
思うことが出来たともいえるかもしれない。
それが嬉しいような、悲しいような複雑な気分を生むのである。
以前も悪夢からなんかを感じた話をしたことがあったが、その時とはまた別の感覚である。
あの時は何もないところから夢を見て前を見た。
しかし、今回は実際の経験から夢を見て後ろを見た。
今回はまごうことなき悪夢である。
嫌な過去に立ち返らされてしまった。
今日はそれがずっと引っかかっていたような気がする。
立ち直るにはまだ経験が足りない。
成功の経験が。
だから、まだ悪夢である。
いつか成功の経験を経たとき、それをただの夢だと言えるようになれたらそれを成長と呼ぶのかもしれない。
なんの話かさっぱりわからないでしょうが、また成功した時に語れたらと思います。
その時までブログを続けなくては。
以上。