奇を覗かず得る
自分の中に世間でのイレギュラーを探している。
普遍的な言い方をすると自分探しってやつなのかもしれない。
瓦礫に埋まったそれを探すために不必要なものを除けて除けて手を真っ黒にしている。
再三言うが面白い人間になりたいのだ。
進路希望にそんなことを書いて許されるなら嬉々として堂々とそう書いている。
しかし社会はそれを許してくれない。
面白い人間になるにせよそのプロセスを求めてくる。
そして、無限に広がっている分かれ道の中で面白くなるための道は示されていない。
全ては地平線の向こう側にあるものである。
現在地からは見えない。
道を決め歩き、もう引き返せなくなったところでようやくそれが面白い道に続いているかがわかるのだ。
あるいは、どの道も面白い道に続いているとも思える。
面白いというのはもちろんコミカルなだけでは良くない。
人間的な面白さが欲しい。
そのためにはオリジナリティが必要不可欠なのだ。
二番煎じでのみ構成されたコンテンツでは面白くない。
自分にしかできないこと、これをオリジナリティと言い、また世間からすればイレギュラーと呼ぶ。
とことん奇怪で無くてはならない。
唯一無二とはそういうものだ。
パイオニアとはそういう者を指す。
しかし奇怪なだけでは面白くない。
受け入れられる範囲でなくてはならない。
否、受け入れさせる技術があればいい。
だが、それがあるかどうかは先導して初めてわかるものなのだ。
そこに立った経験はほとんどなく、出来るかは誰にもわからない。
よって今の私はイレギュラーでありたいと思いながらも奇怪にはなりたくないという酷く中途半端な位置に立っているのだ。
奇を衒う自分が醜く思えてしまう。
実際、オリジナリティを気が衒うだけで形成しようというのは間違っていることのように思える。
もっと身近にあるのだきっと。
その気付かないほど身近にあるそれに一番に反応できた者が勝ちというそういう勝負なのである。
もしくは、その「世間」の範囲によってイレギュラーは異なる。
今の世間ではとことん異質であってもちょっと外に出てみればそれはありふれたものだったりする。
面白い以前の問題として見ることすら憚られるほど見飽きたものだったりするかもしれない。
奇を衒うとそうなる。
「奇を衒っている」という状態が既にありふれている世の中である。
そうなりたくない思いが今は強い。
1年前とは訳が違う。
人と違うことをしてると思われたくない。
でも唯一無二でありたい。
この矛盾したような二つを同時に達成したいと思っている。
これは前提の話だが、まずは私自身しっかり個として立たなくてはならない。
そもそも人間は一人一人違うのだから、そうなるだけで大きな一歩である。
そして、その先に行くにも必要不可欠なステップだ。
まずはここを目標にしたい。
そのためにはむしろオリジナリティの観点は排除すべきかもしれない。
個として存在するのに周りの存在を気にしているとはそれこそ矛盾であり、同時に成しえない事柄であるからだ。
まずはちゃんと立ってから面白くなっていこうと思う。
前も言った気がするが面白くなりたいと口に出すことはなんとも恥ずかしい事なのである。
これから先、面白い人間として見られたいという表明は正直その時点で面白くない。
はっきり言ってしまうと、これを読んでいる人には面白いと思われなくてもいいなと思っている。
次のステージで輝けるようにここではいっぱい泥にまみれておきたいと思うのだ。
もう恰好の付けられる体裁もしてないしな。
これは決してネガティブな話ではなく、私の生涯という長期的なスパンで見たコンテンツを如何に面白くできるかという超絶ポジティブな話である。
前にしか目がついていないぞこの男。
素晴らしい。
まずは自信をつけるところからだな。
これが個として立つことへのファーストステップである。
頑張ってこーぜ。
以上。