欲求への直接的介入
今日昼ご飯を食べていると机の上に体温計が置いてあり、なんとなく体温を測ってしまいました。
ありますよねそういうの。
何かを見た途端それを使いたくなる時。
耳かきとかも目に入ると使いたくなってしまう。
ノック式のボールペンがあるとカチカチしたくなってしまう。
足元にボールが転がっていたら蹴りたくなってしまう。
いい感じの大きさの石が落ちていたら蹴りたくなってしまう。
タンポポの綿毛が生えていたら蹴りたくなってしまう。
例が蹴りたくなってばっかですがそういうものってありますよね。
あるいは、誰かに言わせればこの人を見ると抱きつきたくなるというのもあるらしい。
となると、人もそのあり方によって見られるだけで何かをさせたくさせることが出来るということである。
私を見ると何かをしたくさせるというところをとことん突き詰め、コントロールすることができれば超人気者になれるな。
私を見ると敬いたくなるみたいなそんな感じの。
まあそんな独裁者的理想の話は冗談として、私を見ると何か話しかけたくなる程度の事ならいけそうではあると思う。
ではそういう人間になるためにはどうすればいいのか。
これを考えるにあたってまず体温計などの例に立ち戻ってみる。
すると、見ると何かをしたくなるものは大抵そうやって使うことが多い、もしくはそういう用途でしか使わないというものであるという事が見えてくる。
タンポポの綿毛は蹴らないよ!と思うかもしれないが私は小さいころから吹くより蹴るほうが好きだったというだけの話である。
そう考えると、私を見ると話かけたくなるような私を作り上げようとしたら、出会う度に話す私を周囲の人の中に根付かせなくてはならない。
けどこれって結局自分の中で習慣化させたものに周りがついてくるっていう構図なので実際あんまり意味がない気がする。
その習慣がもっと大きな規模になるというだけの話。
それはそれで大きな意味を持っていると言えるかもしれないが。
つまり話しかけなくても周囲の人がめっちゃ話しかけてくれて陰キャ卒業!ということにはならないわけである。
残念だ。
という体温計を見て反射的に体温を測ってしまった事から広がった楽しい考えでした。
具合は全く悪くなかったがなんとなくワンチャン微熱くらいあるかなーとは思っていたのですよ。
35.0度でした。
ハハハハハ
以上。
本当に語りたいことは最終日にとっておくのです。