脳内宇宙の開示

日頃考えていることを書きます。

ゲシュタルト崩壊空間

 

自分の中で常識と根付いた空間ってありますよね。

例えば自分の家であったり、学校の教室であったり、あるいは何週間かに一回行く習い事の施設であったり。

そういった空間って全部今思い浮かべても間取り図みたいなものを描けるし、自分がその中にいるときに何処に居るという意識が常に持てる。

いわば自分の中で常識と化した空間であるわけである。

 

しかし、その空間に非常識が流れ込んでくると、その認識が持てなくなる時がある。

自分が何処にいるのか見失ってしまう時がある。

ある種のゲシュタルト崩壊のような現象が起こる。

いつもは知っている人ばかりの空間に知らない人がいっぱいいるときとか、急に部屋の装飾が変わった時とか。

文化祭の時の教室とか特に顕著に表れるのかなと。

それは教室の装飾が大きく変わり、多くの人が訪れ、そもそも文化祭という特別な行事が行われるという非常識のオンパレードだから。

すなわち、非常識の度合いが強いほど、空間におけるゲシュタルト崩壊は起こりやすいのである。

(もしこの現象に正しい名前があったら誰か教えてくれー)

 

この非常識というもの、別に多くの人がいなくても部屋の装飾を変えなくても特別な行事がなくても作れる時がある。

いや、作れる人がいる、というべきか。

たった一人その空間に入り込む、もしくは入っているだけで、それらを一気に常識から変化させることができる人間が存在する。

そのイレギュラーというべきたった1つの因子がその空間をも塗り替えてしまう。

すごい。

昨日そんな人間を何人も見た気がするんだよな。

いやー面白かった。

そういう人間に私はなりたい。

 

ただ、非常識というのは怖いものではある。

常識とはいわば暗黙の了解的な面があり、それを越えて人にインパクトを与えるとき、必ずしもマイナスと捉える人間が存在してしまう。マイナスの存在となってしまう。

とても難しい。

いつでも出来るわけではないのだ。

そもそもいつもイレギュラーでいたらいつかそれがレギュラーになってしまうというのは自明でありますしな。

結局は機会を見るしかない。

そして、機会とはいつだって気まぐれかつ一瞬でありますから、見逃さず飛びつくだけの反射神経を持っておけばいいという話であります。

気を見るに敏。

ま!それがむずいんですけどね!!!

 

 

初めから何も知らないところを歩くのと、常識が壊れた場所を歩くの、どちらが刺激的でありましょうか。

私は後者のように感じるのであります。

俺も起こしてみたい。

機会があれば、すぐにでも。