魚魚魚~魚を食べると~
魚を食べる時、命をいただいて生きていることをとても意識します。
あの取り除くのに手間がかかる骨が生命を意識させる。
決してあの食卓に置かれる魚は私に食べられるために産み出されたわけではない。
弟が「骨取るのめんどくさいから魚やだ」などと喚きやがるがそのくらい命をいただくものとして手間をかけなくてはならないのだ。
あの魚を私が食べたところであの魚自身は得をしない。
魚自身が骨がないことを売りに食べられに来ることは無いのだ。
一番我々にとって身近な食べるのに手間をかけなければならない例として魚を出したが、実際基本的には何でも手間をかけねば食べられないはずなのだ。
肉だって色々手間が本来かかるところだが我々の手元に来るときにはもうすでに商品として手間をかけられた状態であると、それだけの話なのだ。
故に若干食事のありがたみが希薄になる面はどうしても生じてしまう。
もっと感じたいんだよな。ありがたみを。
自分の感じてない自由をもっと見出して生きたいんだよな。
人間があたかも生物界のトップに立ち、独立して生きているような錯覚を打ち払いたいのだ。
魚を食べるというのは一つ自分の中でいい影響となり得ましたね。
どうか貴方もせめて魚を食べるときはありがたみをひしひしと感じますように。
食べられちゃいたいまであるな。
いや、ありません。
なんでもないです。
なんでもないついでになんでもない話をするのですが、今回のタイトルみたいに語尾を伸ばす意として「~」を2回使うとサブタイトルみたいになって面白いですよね。
文字で会話してるときも「ありがとう~よろしく~」みたいな文章をうつとスローガンみたいになって楽しいです。
は~い
なんでもない話でした~バイバイ~