透かして見る土の中
最近他人と自分の考え方が全く違うことも多々あることにようやく気付き始めた。
根本的な部分が違うときちょっとの話し合いなどでは解決などするはずがない事にも。
なんで今まで気づかなかったかよくわからないほど分かり切っていることのようにも思える。
思えるのだが、どうしても意識下に起き続けることができないのであった。
最近その根本的な違いがあることに気づいたことで、その良い落としどころが少し見えてきた気がする。
多分ちょっとやそっとの話し合い、言い争いではそれは交じり合わないのである。
その根本的な差異についてどちらが正しい、正しくないという話し合いはナンセンスだった。
実際には相手の根っこにあるものと自分の根っこにあるものを別のものと理解したうえで一番中立的な部分を落としどころにしなくてはならない。
まあ中立的なところが見つからない例も多々あると思いますけどね。
それでも見つける努力をしなくてはならないのである。
しかし、だからと言って、根っこの部分が違う人間とは生涯交じり得ないかと言えばそういうわけではない。
あくまで話し合いでは不可能という話である。
行動で示したり、人生をかけて分かりあうことはきっとできる。
そもそも分かりあおうとしなければそれも無理な話ではあるが、出来ないということはない。
出来る必要も特にない。
最近こんなことを考えたとき、社会性が成長しているように感じられた。
いやー生きるの楽しーなー。
一昨日母親と1時間半くっちゃべってから大人になることに意欲が沸いている。
大人になりたいなどと言っているうちは大人になどなれやしないっすけどね。
頑張りまーす
以上。