脳内宇宙の開示

日頃考えていることを書きます。

蝶を殺して

 

努力した人間が報われない瞬間、どうも良くない。

さらに報われない原因が努力など皮肉にもほどがある。

全ての因果に怒りの感情を叩きつけたい。

 

以前頑張ったのに出来なかったという内容の愚痴を友達にしたら、報われないだけの頑張りはそれほど頑張ってない証拠だみたいなことを言われて黙るしかなくなったことがある。

自分の努力を努力と認めるには成功が必要で、そうでない限り認めてはいけないらしいのだ。

世知辛い世の中っすね。

野球で有名なイチロー氏も努力は自分では努力だとわからないものだという内容の話をしてたらしい。

努力って言うのはそういうもんです。

 

でも、それを外からみて努力と認めることはたやすい。

頑張ってる人を見て頑張ってるなと感じることに何かの介入は存在しない。

それは全て客観的な視点であり、きっと大半の努力というものはそうやって存在し得るものなのだ。

私が努力した人を認識する限りその人間が努力をしているという事はまぎれもない事実なのである。

 

その努力がいとも簡単に崩されてしまった。

いや、実際には努力したものは残り、なるようになり、形になったのである。

ただ、その努力した人間はパンドラの箱を開けるだけ開け、中身を取り出し取り出し、最後の希望だけを取り損ねてしまった。

つくづく皮肉な話であると思う。

その努力をした当人は報われないのに、その努力で笑える人がいるのだ。

パンドラの箱の底に穴が開いており、底にあった希望だけがこぼれ、それを通りすがりの人に拾われてしまった。

ただただ皮肉だ。

許し難い。

ただ、それを拾った人間は一切悪くないのだ。

悪いのは底に穴をあけた因果と箱を押し付けた者。

 

私だってその報われない余波を強く受けた人間の一人である。

でも、そんなの報われなかったなど言えるはずがない。

もっと頑張ったのに最後の蜜を一すすりさえできない人間がいる前でこんな不幸を喚けるか。

 

恥を知れ世界。

身体を引きずりながら歩いている人間には追い風を吹かせ。

もっと不幸をみればいい人間がいるはずなのだ。

一番不幸をこうむってはいけない人間だったはずなのだ。

彼が倒れる前日に私がどれだけの罪悪感を感じどれだけ謝ったか。

それでも許してもらえないのだろうか。

書きながら涙が出てきてしまった。

いろんな怒りが一緒くたになって襲ってくる。

もう過ぎたこと。

どうしようもない。

それがどれだけつらい事か。

許さん。

絶対許さん。

くたばれ世界。

死に晒せ因果。

私もいつか殺す。