独り帰路相談
これはなんの写真でしょうか。
きっとわからないでしょう。
この写真は今この文章を書いている公園のブランコから撮れる公園の写真です。
はい。
近所の公園に来ています。
テンションというかアドレナリンというか、まあそのへんのものというのは麻薬のようなものでして、それがきれたときに苦痛をかんじるようになってしまうのです。
誰かといるということはどうしても麻薬を脳内に分泌してしまう。
よって苦痛の全てというのは人に直接語り得ないものなのです。
そもそも今の私は何に怒ればいいかわからないでいる。
強いて言うなれば時間が有限で、明日が必ず来て、何かとうまく行かないこの世界のシステムに怒っている。
そしてぐるりと一周回った末、自分への怒りとなる。
夜の公園には誰もいません。
ここで独り言のように苦痛の全てを語っても誰にも迷惑をかけることはない。
そしてそのすべてをこの公園は聞いてくれる。
周りにある家の中に聞こえないように一人で愚痴を言い、相談し、相談にのっているのです。
以前、私は短気な人間であるというブログを書いた気がします。
あれを書く前に自分が短気であることを強く認識したために書いたわけですが、あれを書いてからというもの、自分の怒りというものに自信が持てません。
自分が感じる苛立ちや怒りというものは自分が短期故に感じているものなのではないかと考えるようになってしまった。
どうしようもない性分である。
自らの感性すら否定する身となってしまった。
自分が苛立っている、怒っているということは事実なのにそこに何を介入させているのだか。
所詮はまた世間体である。
情けない。
そもそも短期というものが相対的なものであり、それを気にしている時点で既にってことなのである。
世知辛〜
と、そうこうしているうちにブランコの揺れに酔ってきた。
なんとなく心に張り付く不快感も薄れた気がする。
なんとか明日も頑張れる気がしてきた。
心なしか公園が広く見えてくる。
帰り道もきっと広いのである。