脳内宇宙の開示

日頃考えていることを書きます。

自由喰らいのバク

 

人間関係ってすげー難しいっすね。

いや、難しいってかとってもむかついている。

何かにむかついてるのって言葉にするのとってもダサいんですけど、今日これ以外書ける気がしないので書かせていただくぞ。

 

 

 

人間関係にむかついてるっつっても特定の誰かにむかついているわけではない。

なんというかこの先もずっと付きまとう非合理的な面に嫌悪感を隠せないだけだ。

 

 

この世界にいる各個人が世界を作っている構成員だ。

世界創造への意欲 - 脳内宇宙の開示

 これを具体的な形を用いて頭の中で考えようとすると、私の中では歯車が一番しっくりくる。

全ての人間は一つ一つの歯車となり、綺麗に噛みあって一つの世界を動かしている。

そんな感じ。

もちろん隣接する歯車の数は膨大であり、それらを全て嚙み合わせるのは物理的に不可能なのであるが。

 

それらの歯車は、世界を構成するうえでは綺麗にかみ合っているのだが、思想の面で見ると全然かみ合っていないときがある。

何かしらのグループが出来ていたとして、それらは客観的に見れば綺麗だが、思想においてはどうしても形が噛み合わないように出来ている、みたいな。

思想の歯車を合わせないという選択肢もあるが、実際には誰かの歯車を削っていきていくパターンが多い。

誰もが自分のしたいように自由に生きたら、世界は構築できなくなる。

だから時と場合に合わせて自由を食べ合っている。

そうしてなんとか噛み合う形を模索していくしかない。

それをしなくてはいけないことが悔しい。

自分がよその歯車を見て、ここは綺麗にかみ合っていて欲しいと思うところが噛み合ってくれない。

でも外野の私が口を出せば私のせいで誰かが自分の歯車を削ることになる。

第三者である私が、その人の自由を食べてしまう。

それは許されることではない。

それが、どうも悔しいし、どうしても噛み合わないところを生みだす世界に怒りがこみあげてくる。

 

 

では、こんなことを書いている私はどうだ。

よそに口を出さずとも誰かの自由を喰らっているのではないか。

正直、少し前までは自分は誰の自由も喰らっていないと思っていた。

善になりたかった。善は自分の自由を他人に食べさせてあげることのできるアンパンマンみたいな存在だと思っていたから、いるから。

でも、もちろん私は沢山の自由を喰らっていた。

いや、考えてみれば人の自由を奪わずに生きられる人間などこの世に存在するはずがない。

独りで生きていくことはできないって言われるのはそういうことだろうと思う。

しかしその事実を認めたくないのだ。

自分は今もいっぱい喰らい、歯車は全然噛み合っておらず、一人逸脱したところをふわふわと浮いて回っている癖に、それを認めることは大層辛いのだ。

人の自由を奪う事を悪と考えている自分がいるから。

こういう話をすると自由って何って話をしだす輩がいる。

自由って言うのは自分のしたいことをすることだと思っています私は。

本来身近な人からは自由を奪わなくなっていくはずなんですよ。

例えば助けを私が求めたとて、その人が私を助けたいと思っていればそれは自由になるのだから。

でも、私はその許容範囲を越えて自由を食べに行く癖がある。

それがとてもむかつく。

先ほど特定の誰かにむかついているわけではないといったが自分にはむかついているかもしれないな。

 

 

 

今日、どうしても噛み合っていて欲しいのに噛み合わない歯車と、自分が人の自由を食べている事実を一緒に見てこんな事を書いてしまった。

本当に世界と自分が憎い。

一切のコミュニケーションを排除して少しの間生活してみたいと思うくらいには。

もちろんそんなことできるわけないしするつもりないけどな。

元からコミュニケーションの量は少ない方だし。

 

言い訳がしたいわけでもないのだ。元からダサいから今更取り繕っても意味ない気がするし。

ただ、今日の精神環境ではこれしか書けなかったというだけ。

これしか書けないというだけあって書くペースは今まででぶっちぎりで早いけどな。

 

 

 

 

先日人と軽く言い合いをする場面になった。

誰が悪いという訳ではなく、ただ何を重要とするかが違うということが生んだ必要不可欠な言い合い。

もちろん相手を恨んでいるわけでも憎んでいるわけでもなく、ただ、自分の自由を守るために相手の自由を食べようという生物の基本原理にのっとった言い争い。

相手を傷つけたくないのに争いをしなければならない残酷な世の理。

そこにいた誰もが傷をつけないように相手の心に静かに爪を立てた。

面白いことに、と言っていいものか知らないが、こういう時人は皆、ずるい言い方をする。

否、相手を傷つけないようにするには、直接的ではなく回り道をしてずるい言い方をするしかないのだ。

それがどうも気持ち悪かった。しかし、心地良くもあった。

そこにある確かな暖かさを感じることができたから。

まだ結論は出ていないし、話は終わってもいないが、正直自分はもうどう転んでもいいなと思ってしまった。

相手の自由を食べることなく、何かが満たされてしまったような気がしたから。

 

 

多分歯車が噛み合わないのはこうやって直すのが一番良い。

歯車の形を無理やりに変えるのではなく、自然と変わるようにする。そういう手段だと思う。

こうすれば全ての歯車は噛み合うわけではない。むしろ、こうやって形を変えることで他の歯車と噛み合わなくなるなんてこともあるだろう。

それでも努力はすべきだと思った。

客観的に見て、噛み合って欲しい歯車が噛み合っていないのはとても気持ちが悪いから。

他の人が自分のために歯車の形をねじまげているのは、とても怖かったから。

 

 

 

 

 

 

 

書いているうちにどうも苛立ちは収まってきた。

でも忘れてはいけないんだろうと思う。

やっぱり私は善でありたいから。

私が自由でいても、他人の自由をほとんど食べないように生きていたいから。

頑張っていくので、どうか、無意識に自由を食べようとしていたら叱ってくれ。

まだ私の心は正義のヒーローに憧れる少年のように幼稚なのだ。

正義のヒーローになりたいとは流石に思っていないが、悪にもなりたくない。

いい落としどころを見つけるまで、少しだけ自由をいただきます。

いつかたらふく食べさせてあげるので、今だけ少しください。

どうか。