マゾヒスティックな味覚
先日お店のカレーを食べたんですが、とても辛くてしんどかったです。
辛いの得意じゃないんですけど割と好きなので食べてしまうんですよねー
食べるのが目的だったなら辛かったけど良かったで済むんですが人と話す目的でご飯に行ったのでちょっと良くなかったなーと反省をしています。
さて、思うのですが、「からい」「にがい」という味覚を「辛い」「苦い」という漢字で表すのとても面白くありませんか。
「つらい」「くるしい」なのにそれらは決して「不味い」とは違うんですよ。もちろん物にもよるし個人差は存在しますが。
からいものを食べるとき、舌やのどが痛かったりしてもう食べられないってなるときが結構ありますが、それでも辛い物が好きな人っていますよね。
健康に悪いものではないのは事実として、それでも強烈な刺激に身体が悲鳴をあげるときがある。
それを好んで食べるってどうなの。
恐らくここにも人間のマゾヒスティックなところがあると思うんですね。
そうでなければ食べ物の味に辛いとか苦しいとか書かない。
辛いのも苦しいのも分かっているがそれを受け入れている。
おいしいと思えるマゾヒスティック。
幸せになれるマゾヒスティックの一例ですね。
逆にもっと感情にリンクさせていろんな味は例えられないのか。
例えば恥ずかしい味とかないの?
個人的には酸っぱいって恥ずかしいっぽい。
いや、この印象はどこから来るんだろう。
青春は酸っぱいかつ恥ずかしいものだからそこの印象かな。
いや、酸っぱい青春とかしたことないわ。
探してみても他は難しそうですね。
こうやって言語の方に立ち返ってみると色々面白い発見がある気がします。
いや、何にも調べないでこの文章を書いているからもしかしたらそもそもが派生の言語でーすってこともあるかもしれないですけど。
スパイシーって言葉は恐らく味の方から来てるんだろうなって思います。
まあ言葉自体スパイスから来てるでしょうしそれはそうか。
以前から言語についてはちょくちょく書いていますが、言語というのは人間が思考を形にしようと思った時最も身近にある手段だと思うので、それらを解剖するのは人間が形にするときに感情と伝え方の間に含むバイアスとかそういったものを感じられるのが良いと思います。
これからもやっていきてーなー。
でも所詮私の考えてることも貴方には言語でしか伝わっていないのでありますがねー
とても残念だー