マゾヒスティックの真髄
「ねー〇〇君ってさーSとMどっち―?」
この手を質問は至って地獄。絶対に正直に「Mです」などと答えてはいけないぞ。
キモいと一言言われて終わりだ。次の日から陰湿ないじめが始まるから気をつけろ。
さあ、この「SかMか」という話、多分質問者的には「肉食系か草食系か」を聞いている気分なのだろうと思うのですが、若干意味合いが違うせいでどちらを答えても地雷であります。
特にマゾというのはどうしても世間的にはギャグマンガ等の影響か「殴られて鼻血を出しながら喜んでいる人」という印象が強いもので気持ち悪がられがち。
まあマゾヒズムの言葉の意味に立ち返ると被虐性愛であるためその印象は割かし正しいのですが、僕としてはもっと自己完結出来る身近なもの何じゃないかと思うわけです。
例えば、達成感というもの、一種のマゾヒスティックを感じませんか。
頑張って何かに向けて苦しい努力を続け、その努力が実を結んだときに感じる気持ちよさって「苦しさ」が前提であって、何かしらの達成感を味わうのが好きっていうのはその前提の苦しさも含んでの好きだと思うんですよ。
あとは筋肉痛で感じる気持ちよさも立派なマゾヒスティックですね。これを感じるために持久走を頑張っています。
上記二つの例をマゾヒスティックとするのであれば、マゾというのは世間が考えてるほど特殊でキモいものではない。むしろ誰しもが持ってるものなんじゃないかと思うんです。
そのマゾヒスティックと仲良くなれればきっとあまねくものを楽しめる無敵の人格が出来上がるのではないのか。
楽しいことはそのまま楽しみ、苦しいことは悦しむ。そんな生き方ができたらいいなと思うわけですが残念ながらその域までは行けてない。これからも行ける気がしないな。
つまり究極のマゾヒストは最強。故にキモい。結局キモい。
というか、そういう性癖の類って口にするからキモいんですよね。自称マゾヒストってキャラ付け狙ってるみたいで嫌じゃないですか。大抵そういう事なんだと思います。そんなこと言ったら自称サディストはみんなDVしてる性犯罪者ですからね。何だってキモいんですよ。
心の奥にマゾヒスティックがあることはキモくないし、むしろ幸せになれる道だと思っています。お勧めです。俺はマゾじゃないけどな。
よって「SとMどっちー?」と聞かれても滅多なことは言わないほうがいいですね。
どこフェチとかそういう話も実際すげーキモい。面白いからしちゃうけど。
まあ、そういう話になった時点で答えなくても冷めるのでどこを選んでもマイナスイメージがつくものと思ってください。俺だったら答える道を選ぶのが一番楽だな。前言撤回。
ちなみに「マゾヒズム」は被虐性愛の性欲を、「マゾヒスト」はマゾの心を持つ人を、「マゾヒスティック」はマゾの心を持つさまを言うみたいです。
マゾヒスティックは垣間見えるがマゾヒストでは無い。そんな人格を形成したい。