最良のアンサー
風呂上がりの牛乳、最高すぎる。
以前中学の友達に風呂上がりの牛乳の話をしたら「風呂上がりに牛乳なんか飲んだことないよ」と言われてしまったことがある。
悲しい事です。
この最高の味を覚えずして生きるなど。
こういうある種ルーティン的な瞬間の最適解ってありますよね。
温泉上がりのコーヒー牛乳然り。
朝にパンを食べているときのコーヒー。
プール上がりのアイス。
お祭りのじゃがばた。
ちょっと他に例が思いつかないが、なんかこういうのがもっとあるはずなのである。
私はこういうのをさらに増やしていきたいと思う。
初めの例に話を戻すが、私は毎日風呂上がりに牛乳を飲んでいる。
本当に毎日。
しかし、毎日続けていることながら、その幸福感が薄れることは無い。
今日も最高だと思いながら飲んでいた。
それは私が風呂上がりに飲むものとしてこれを越えるものはないことを理解しているからだ。
これに勝るものがないことを理解しているから他を見ることは無く、それが最高だとわかっているから最高になれる。
生粋のミルクティ好きとして名高い私ではあるが、この時ばかりはミルクティは飲めない。
そういうことである。
となればこういったある瞬間最高なものが分かれば毎日はもっと幸せになる。
全ての最高を理解し感覚に追いつけば、機械的ではあるが毎日は幸せが確定する。
その境地にたどり着いてみたい。
ただ、自分の世界とは狭いもので、今最高だと思っているものを越えるいいものが自分の後の世界では出てくるかもしれない。
まあ、それはそれでいいですけどね。
今幸せだと思えればそれでええやんな。
明日も牛乳を飲んで幸せになって骨丈夫になって巨乳になりたいです。
以上。