脳内宇宙の開示

日頃考えていることを書きます。

寝坊助は観念の打破を夢に見るが

 

今日でようやくブログ継続1週間です。

いやーすげー楽しいな。

感想ももらえることがあったりして、俺も自分がいいと思ったコンテンツには遠慮せず声をあげて「いいね」しないといけないなと思いました。だってめっちゃ嬉しいもん。うん。純粋な嬉しさ。顕示欲が満たされている。いっぱいちゅき。

 

思えばこの1週間私の世界はブログを中心に回っていた気がする。何よりも優先すべきはブログを毎日書くこと、そんなふうに思っていた。(実際には日付超えてから書いてたりしているが眠るまでが今日。)

それで昨日午前3時に投稿した結果今日の学校に遅刻してしまった……

 

もちろん学校に遅刻するというのはその集団に属している以上悪い事である。そこに対して開き直って「誰にも迷惑かけてないんだしいーだろ。」などとぬかすほどガキではない。反省しています。

だが、我々は「学校」という観念に精神を縛られ過ぎているんじゃないかと思うことができた。

6歳から今までずっと学生という身分であり、もっと言えばそれより小さい時から保育園というものにも通っていたりする我々は「平日は朝起きて学校に行き土日は自由に過ごす」というものにどうにも固執してしまう。

特に「日が出てるうちに行動し、夜には眠る」というものには強い固定観念を感じる。

例えば、休日起きたら時刻は正午を過ぎていて悲しい思いをした、ということは経験にないだろうか。これは固定観念が生み出す感情の一つである。ちなみに私は新年明けてから10回ほど経験している。

 

 

昼間に行動するのは生物としてのヒトに由来するものであるが、電気というものが普及している現在、夜中を通して勤務している職業も少なくなくなってきていると思う。調べていないのでよく知らないが、バーとか夜に店を開けて明け方閉めるとかそんなところありそう。あるいは自宅勤務の人でもそういう生活をしてる人はいそうだな。

つまり、昼間に眠り夜に起きる、という生活もないことはないのである。

しかし我々はどうしても昼間に動き夜に眠る生活を「正しい生活」だと思い込んでいる。それは学校が朝に始まり夕方に終わるという生活を10何年間も続けてきたからではないのか。まあ昼間に起きないのは健康に悪いのであるが。

 

前述したとおり、私はこの一週間ブログを中心に生活を送ったが、それは時間だけの話ではない。プライオリティが1番であった。課題より予習より勉強より学校よりまずブログであると思い込んでしまった、否、思い込むことができた。それほどまでに価値があるものだと信じることができたのである。

考えると、学生が終われば我々は仕事が最も優先する事項になるだろう。そして、その仕事というのは各々違うのである。先ほどの時間を話をとっても、それって今とは核心的に違うことで、現状と比べると遥かに奇妙な世界ではないだろうか。

 

 

 

ちょっと特殊な職業を例に出すが、例えば漫画家なんて1日中絵を描いて終わるんだぜ。今の生活では想像できない。常識から何からが全てが違う。あれ、ほんとに絵描いて1日終わるのかな。もしかしたら違うこともしてるかもね。(教えて詳しい人!)

こういう今考えれば可笑しな現実が、多分職業の数だけある。そして職に就けばその可笑しな現実が常識になり、固定観念になる。

私はこの1週間でその観念の変化を垣間見たのかもしれない。

そしてそれ故に学校に遅刻してしまったのかもしれない。

朝起きるという事は今日においては大事な事ではなかったから。ブログを書くことができれば起床時間はどうでもよかったから。

 

 

そう考えると今日はいい体験であったと思いますね、ということを書いていたらもう12時半になってしまいました。流石に明日も遅刻するのは忍びないのでこれくらいで終わらせておきましょう。所詮学生である以上学校の規則に従わなくてはならないのです。

自分の芯となるものまで社会に左右されてばかりで嫌になってしまいますね。

 

初めに言いましたが、決して遅刻した言い訳を長々としたわけではありません。その犠牲によって得られたものを犠牲にしない方に共有すること、それこそ昇華と思っております故このように書かせていただいた。いや、単に書きたかったから書いただけですが。

もしくは、生活に余裕がある人は一度学生のうちにこんな経験しておくのも手かと。

もちろん責任は負いかねますがね。

ただ、至って刺激的でありますよ。

 

 

 

今日はブログ継続1週間といったが、1週間というのもある種学校によって作られた固定観念だな。もちろん社会的に曜日というのは大事にされているが、我々の中ではあと何日で休日とかそういう指標としての曜日という意味合いは決して小さくない。

そう考えるとこの継続できた喜びさえも学校によって作られたものか。悔しいな。

もっと絶対的な、季節とかで考えるか。

次の目標は何か月みたいのじゃなく、桜が咲くまで、とか。

 

自分で考えといていいなと思いました。

やはり固定観念から脱出すると心が豊かになってとても楽しいですね。

是非。