脳内宇宙の開示

日頃考えていることを書きます。

欠けるは満足、ストレート

 

さて、先ほど11時ほどに帰宅して晩御飯を食べたわけですが、お腹がすいた時のご飯というのは増しておいしいものでございますね。

 

 

その時急に欲求とはいささか面白いものであるなと思ったので今日はそういう話をさせていただきましょう。

 

 

 

空腹は最高の調味料とはよく言ったものではありますが、空腹とはすなわち「食べたい欲求」でして、どうしても食べても食べてもずっと空腹という訳にはいかないのでありますな。

空腹を満たしてる間の食事というのはすごい楽しいもので、最も幸せといっていい時間かもしれませんが、ある一線を超え満腹に近づいていった時に段々食べることが苦になっていくのです。そしてまた一定時間が経過すると空腹になっていく。

同じ食べるという行為、かつ生きるのに絶対的に必要な事でありながら、あるところから苦になるというのは面白いですね。

睡眠も似たようなもので、ある時間までは必要な事でありながら、ある程度寝たところからは寝ようとしても寝られない。長く寝すぎるのは健康に悪いという話もありますね。

三大欲求のラスト一つの性欲。これは中々難しい話ですが(私が満たされていないため)、賢者タイムというのがいわゆるそれにあたるのかなと。

そう考えると他はゆっくりと満たされるのに対し、性欲だけ一瞬で満たされるのは面白い。まさに絶頂といったところか。

 

 

 

まあ三大欲求は比較的分かりやすいのですが、ではその他の欲求もどこかで満たされアプローチを受ける事が苦になる瞬間が来るのか。

知識欲や顕示欲なんてのはどうだろう。いつか満たされ、知識をもう得たくない、認められたくないと思うときは来るのだろうか。

あるいは恋なんてのも一つ欲の形でありまして、愛されたくない、愛したくないと思うときは……来そうだな。倦怠期なんて言葉があったりしますしね。

 

考える前は欲求って風船みたいなものだと思っていて、三大欲求は空気が抜けやすいかつ入りやすく、それ以外の欲求はその逆で抜けにくく入りにくい。その違いだと思っていたのが、満たされることを知らない欲求もあると考えると欲求もなかなか奥が深い。あるいは、ただ風船のキャパが大きすぎてまだ満たせていないだけかもしれないけど。

ただ、我々はその風船が膨らむときに幸せを感じることができるのであるから、空気のバルブが緩く容量の大きいものの方が膨らませていて快だと言えるだろう。

 

初めのご飯の話に戻すと、空腹の時間が長ければ長いほど余計にお腹はすくし食べたいという欲求が出てくる。そのとき欲求の風船は全く満たされていない状態、すなわち空気が抜けきっている状態であるため、この状態でご飯を食べたときの方が感じる幸福度は高いわけである。つまり欲求は幸福と言い換えることができるかもしれない。

 

 

しかし、例えばお腹をすごい空かせた状態でご飯を食べようと心うきうきわくわく帰ったら家族全員外食に行っており、「今日はこれを食べてください」という書置きと共にカップラーメンが一つおいてあったらどうだろうか。お腹を満たすことはでき、欲求は解消されるが、そこに幸福度は少ないだろう。おいしいご飯を腹いっぱい食べることを夢見ていた分そこの落胆はでかいのである。

ある種欲求とは賭け事じみている。欲求が高まった状態でその欲求を満たすことができれば大きな幸福となって返ってくるが、いまいち満たせなければ貯めた欲求も虚しさになるだけだ。。

今日も満足を賭けてポーカーをし、豚汁と照り焼きチキン丼という好カードで勝つことができた。いやはや満足である。

 

 

 

 

 

まとめると、御預けをくらうというのはマゾヒスティック的な幸せを手に入れることができますが、御預けされっぱなしだとただ苦しいだけなのでそこは気を付けたほうがいいねって話です。今までで一番長くなってしまったな。

 

 

そういえばかのキムタクも「超眠い状態ってすげえ気持ちいいよな」って言ってた記憶があります。国民的アイドルもマゾヒスティックで幸せを手に入れているのです。是非、貴方も。