論理を穿つストレート
さっきまで東京駅周辺で同日模試を受けていたのですが、夜の東京がすごく気持ちよかった。
夜の東京シティ気持ちよすぎじゃないか?というツイをしてから、この気持ちよさはどこから来るのだろうという疑問が頭の中に残った。
あの瞬間俺はまぎれもなく生きていたな。論理と感覚がレースをして感覚がぶっちぎりで勝利している。頭の中に住んでるウサギは休むことを知らないし手加減もしない。
そこでカメさんに注目してみる。
まず感じたのは東京駅の前の完璧さ。
この電気のついた案内板全てが点滅したりすることなく点いている。
さらにとても明るい。
普段見ているのはどこか暗いし、電球が切れて点いていない箇所があったりする。
それと比べて、良い表現が見つからないが、画質が良くなった感じといえば良いだろうか。
wiiをしてからswitchをしたとき。
ニコニコ見てからYouTubeを見たとき。
バニラから影modにしたとき。
そんな感じである。影modは画質関係ないけどな。
企業の広告のやつもそう。
全てが存在をアピールしてくる。今までで一番広告らしさを感じた広告達。
そしてそれが心地いい。
あとは両側を高い建物で囲まれている車道がとても気持ち良かった。
思わず渡るときに一瞬立ち止まってしまうくらいには。
なんであの時写真を撮らなかったのだろう。
山を登るときの木の間に作られた道から見上げる空、みたいな感じがした。
一般論的に言うなら、自然が多いところのほうが空気がおいしく気持ちがいいものであり、むしろ東京は空気が汚く気持ちが悪い。そんな印象は私の中にも存在するが、そんな頭の中で色々と考える前に今日は気持ちいいと思ってしまった。
頭を冷やしたうえで東京の空気は汚い論と東京の夜の気持ちよさを戦わせても結局気持ちよさが勝ってしまう。スピードだけでなくパワーも一流なのだ。
そもそも東京の夜とかそんなのに限らず、感覚はいつだって論理より優れている気がする。優れているより優先すべきというべきか。
これを語るには結局感覚を論理に変換しなくてはならない。そしてその作業は感覚にダッシュをまた一つつけてしまうのである。そんな無粋なことはしない。
なんとなくしたいからという感覚で歩いて学校から帰ったり、自転車で学校まで行ったりしてしまうものなのだ人間は。そしてそれが一番楽しいのだ。幸せとはそういうものなのだ。
本当に伝えたいことは言葉では伝わらないのでありますよ。
考えてみれば小田原に行くときは日が落ちたら走らないことにしたので少し遠くの夜の景色を見たのは久しぶりだったかもしれないです。
久しぶりというのも一つ感覚を敏感にさせる良いものでしたね。
また今度夜の東京を歩いてきたいと思います。