脳内宇宙の開示

日頃考えていることを書きます。

24時間ブログ

 

毎日やることを増やして行きたいと思っています。

今もノルマとして4つくらい毎日やることをやっている。

 

以前少し書いたかもしれないが、私はせいぜい器用貧乏になれればいいかなと思っている。

何かをとにかく極める人間は羨ましいが、そうなるよりいろんなことができる状態でその場に合った選択を自分でしていく方が性に合っている気がする。

だから出来ることは増やしておきたい。

出来ることを増やすにはやはり習慣的に練習をすることが一番の近道であると思っている。

その習慣のリズムとして1日という単位を使っているというだけのこと。

そうしてまた出来る事を増やしている。

 

しかし、出来る事というのは曖昧な話で、どのレベルで出来るとするかは主観によってしまう。

段位が合ったりすれば分かりやすいのだが、世の中それだけで計れるものもそう多くない。

であれば自分の経験に基づくしかないだろう。

ただ、年を取るにつれて小さいころに出来ていたことに自信がなくなっていくのである。

例えば、私は小学3年生までスポーツチャンバラという習い事をしていた。

如何せん人口はそう多くないし、道具がそろってることもなかなかないので習い事をやめてからあのスポーツに触れたことはない。

それでも中学頃までは俺はスポーツチャンバラができるという自負がなんとなくあったものであるが、最近ではもう出来る気がしなくなっている。

過去の経験や栄光というのは記憶から薄れると共に自分の中での価値も薄れていく。

それで本当に誇れるのかがわからない。

先ほどの例では辞めてから今まで8年の年月が経っているため仕方のない事のように思えるが、実際つい先日までやっていたことでも急に自信がなくなったりするケースはある。

私の自信の付け方が下手くそってのもあると思いますけどね。

 

ここで毎日何かをやることの話に立ち戻る。

毎日やることは自分の中での価値づけとして経験でありながらも進行中の事柄とできるのである。

今日やったと明日やるの間に自分がいるときであっても、その時間を自分にとってそれをしている期間として位置づけることができる。

それを自信として捉えることは不器用な私でも容易である。

過去の栄光でないから決して色褪せない。

今日も頑張る自分に価値をつけることは容易なのである。

そしてそれは努力のベクトルとして間違ったものではないということもまた自ら証明出来れば、確固たるものとして自分の中に存在させることができるのだ。

 

 

 

もちろんこのブログも毎日続けている事である。

ただ、正直あんまり文章が良くならない。

読んでいてどう思うかは各個人に任せるが私は良くなっていないと感じる。

ただ、確実に言えることとして、キーボードのタイピングが早くなった手ごたえは感じている。

そこに価値を感じても別にいいではないか。

元よりそもそも文章書くのを得意にするために始めたブログではなかったしな。

どのような副産物が手に入るかはわからないが、これからも毎日やることは継続し、欲を言えば増やしていきたいと思っている。

あるいは、やってみて途中でやる気が続かず辞めるというのも一つ副産物として手に入る経験とも言えるかもしれないな。

まあなんでも物は試しってやつですね。

頑張っていきたい。

ただ、毎日続けることの中に勉強が入らないのがなんとも残念であります。

以上。