集団心理への殺意
一人で立ちたい。
そう思い立ってから一人で立つ練習をしているのですがかなりきついです。
めっちゃ疲れます。一人で立つの。
以前は出来てたような気がするんですけどね。
さしづめリハビリ期間といったところでしょうか。
たまにもう疲れてしまって何もできなくなる時があります。
いや~一人で立つのはやっぱ辛いわ~。
もちろん比喩表現でありますよ。
言ってしまえば今目指しているのはとりあえず集団心理を自分の中から捨て去るところなのです。
集団心理。
最近になってからこれがとんでもなく邪魔になってきまして、ちゃんと個としての自分を確立をさせた人間じゃないと持っちゃいけないもののような気がしたんですね。
私の中では世間体というのも集団心理に含みます。
誰から見られてるというのを気にするのは個として存在する人間にはない事ですから。
そして世間体を気にしてばかりいる、すなわち集団心理に毒された人間は誰しもいじめのメカニズムを持つ人間となり得るのです。
そういった人間はきっと主某にはなりませんが、歯車の一つとしてしっかり働いてしまう。
道に転がるモブA君を演じてしまう。
私がそれでした。
それを深く恥じているしとっとと脱却したいと思った。
そして恐ろしいことにそれは全くの無意識の成すものだったのです。
自分の行動をゴミみてーな心理に支配されていたというのはぞっとしない話であります。
なので今一人で立とうと頑張っているのです。
考えるとこの集団心理を作り上げたことにTwitterというツールは大いに関わっているように思える。
集団心理に依存したブラックジョークともいえないただの中傷をユーモアと思い込んでいる人間が身の回りにだって何人もいる。
そして私だってその側面を持っていた、いや、持っているのだ。
それが当然のごとく蔓延している。
別にTwitterに限った話でもない。
テレビに毒舌なんたらとかいう人間がでてくるのも似たようなもんだと思う。
もう一時期よりいなくなりましたけどね。
あるいは、私は加藤一二三氏がバラエティ番組にでてお笑い芸人にいじられていたりするのにもどうにも違和感を感じ得ないのだ。
それらの行く先は個々の人間へ届く物ではなく、「それは面白いものだ」と塗り広げられている集団心理に向けて発している物なのではないかとそう感じるのである。
集団の中にいるとその違和感をなかなか感じられないらしい。
しかし、その違和感を感じだすというのもまた辛いものなのである。
どうしても社会的存在としての我を形成させないといけない以上、集団心理と個人心理に齟齬ができた場合も、それを上手く合わせたり折り合いをつける必要があるのだが、まだ個としての存在が未熟なうちはどうもそれが難しい。
全てに顔をしかめながらも、それを咎めるのは社会的によろしくないことを理解しているのでなにも出来ない。
あるいは、社会的存在を捨てないと個としての自分は存在できないのか。
そんなことをしだしたらそれこそ独りになってしまう。
そう思うのはまだ私が集団心理に喰われたままだからなのか。
この堂々巡りで日は暮れ日は昇る。
我ながら馬鹿をやっていると思う。
ただ、大事なターニングポイントのような気がするのだ。
ここを乗り越えた先に私が個として確たる存在を得られる気がするのだ。
また、今の私がその集団と個人のどちらとの距離感をも掴み損ねているというのは一つの事実だ。
その最たる例として、学校という集団を常ににらみつけている自分がいる。
あそこに所属していると集団心理に毒されるような気がしてしまう。
そんな気がしながらも所詮集団の中でしか存在できない自己に気づき、萎れてしまう。
もしくは、周りの人間も集団の中でしか生きれないのだと感じてしまう。
そして、個として交わることはなかなか出来ない。
集団と個人の間でさまよい続けている。
単位というもので集団に縛られた自分を認識してしまう。
それ以上の価値を見出せなくなってしまう。
こんなことなら集団の中に盲目的にいたほうがよっぽど楽だったと思うが、一度認知してしまっては巻き戻しはできない。
最近ずっと考えていることだからか、書くスピードが早い。
ここに顕著に表れるのは面白いな。
こう考え続けていればいつか考えがまとまり何とかなるような気がしているが、もしかしたら考え続ければもう何処までも行ってしまう気もしている。
全てを打算的に考えることができればそれでいいんですけどね。
どうも少々の優しさを保持してしまっているみたいでそうもいかない。
これも果たして思春期特有の悩みで、時間が解決してくれるのか。
今悩んだことがいつか役にたてば勝利なんですけど、ここから一歩も進めず時間だけ過ぎて行ってしまうのが怖い。
全てを笑い飛ばすだけのエネルギーが欲しい。
それを手にできない。
長々と愚痴を書いてしまったな。
自己を見つめる場としてここはとても気持ちがいいから書いてしまった。
正直時間さえあればいくらでも書いていける気がする。
ただ、別に同情してほしいからとかで書いてるわけじゃない。
なんならここに書いたことをベースに話をされたら気後れしてしまう。
ここは私の思考ランドなので貴方の思考は関係ないのです。
いつだってここは個でありたいと思う。
ただ、集団心理への批判は唱え続けたい思いもあるのです。
それは単純な批判精神なのか、もしくは誰かが同じところに落ちてくれるのを待っているのか。
まあこれを読んだだけで同じところまで落ちれる人がいるわけないですけどね。
それは感受性豊かすぎ~
まあ、いつか解決することを願いながら、個としての関係を密にしたいと思う人へはちょっとずつアプローチをしていきたいと思っているところです。
頑張って一人で立つから見ててくれよ。
クララが立ってるって泣いてくれよ。
お前も一人で立てよ。