脳内宇宙の開示

日頃考えていることを書きます。

青春の撮影

 

気づけばもう高校二年生の1月中旬に差し掛かっててですね、時間の流れの速さを実感せずにはいられません。

高校生活はあっという間に終わっていくーやだー

 

しかしてこの「あっという間」という言葉、とても便利な言葉でありまして、簡潔に楽しい時間であったと伝えることが出来るんですよ。卒業式の答辞とかでももう決まり文句みたいなそんなところがありますよね。

ただ、あっという間の高校生活って「楽しかった」のほかに「単に密度が薄かった」というパターンもあるわけで、あっという間だから良い時間であったと矢印を向けてしまうのはちょっと待ってと言いたくなるんですね。

でも、高校生活の3年という時間を高校生は皆平等に与えられてるんですよ。何事もなく卒業できれば。

結局、後から思い返せば「あっという間」な時間にいかに価値をつけれるかは自分次第なわけで、そこには友達の量も恋人の量も外出の量も成績も部活も関係なく、価値があったなー!と自分に言わせられるかという勝負。ちゃんと言わせてからあっという間って言いたいな。

 

 

 

ここまで書いといておかしな話ですが、3年も時間があって「あっという間」で終わるわけなくね???

先に書いた「あっという間は便利な言葉」と思う所以はここでありまして、入学から今まであったことを全部羅列させていったら色々な思い出があるのを、「あっという間」と表現することによってその記憶旅行を放棄する結果になってんじゃないかと思うわけです。

ただ、この記憶旅行というのを脳みそ一つで行うのが結構困難で、記憶には残ってるんだけど何もない状態で思い出そうとするとそれは難しい。文化祭とかは「行事」という付箋があるおかげで出してきやすいんですけど、何の変哲もない休み時間の一幕とか頑張っても中々出てこない。でも人から話されるとそんなことあったなーって思い出せたりするもんなんですね。

 

この、あらゆる記憶を目の前に持ってくるというスイッチを、「人から話される」以外に作れると「あっという間」ではなくなるんじゃないかと。まあ作る方法なんていっぱいありますよね。日記をつけるのとかってそのためだったりするし、SNSとかTwitterとか見返してもその役割は果たしてくれるし。

最近僕は写真を撮るようにしてますね。別に撮り方にこだわるわけでもなく、加工したりするわけでもなく、人にみせるつもりもなく。散歩するときとかも必ず1枚は写真を撮るようにしていて、例えば先日千葉駅周辺を歩いた時も普段いかない方向に行ったら知らない高校があったのでその校門を撮りました。それを見るだけでその日散歩中に考えていたこともなんとなく思い出せるんですよ。文章を書くより感覚的で簡単。実際には写真に文章つけるのが一番優れてるんだろうな。そう考えると絵日記ってすごい。

また、自撮りという文化にも触れ始めました。そうでもしないと写真を撮るという習慣が自分の中に根付かないのです。御目汚し失礼。

というか自撮りという文化が出てきた時点で写真の利点に気づいてる高校生はいっぱいいたんだなーと。すっかり出遅れてしまった。劣等感に似たものを感じるな。

 

 

 

カメラの話をメインに書きたかったのだが文量的にはどうも少なくなってしまったな。こういう文章の書き方うまくなりてー

「あっという間」って表現、当然嫌いではないんですが、あっという間で高校終わらせたくねえなと思ったので否定から入らせてもらった。

こういうことを考えていると俺の高校生活これで良いのかという思いがふつふつと湧き出てくる。もっと暴れたいな。もうすぐあと1年のラインを超えるし今の人間関係ぶっ壊すくらいの心意気でなんかイキったキモい事してもいいなと思っています。所詮妄想の枠を超えないのではありますが。

もっとやりたいことやらないと損だなー。

時は金なり。ご利用は感情的に、どうぞ。